今日もJohnとお散歩🐕

平凡な日常・・・

今日もJohnとお散歩🐕

神戸、ジョンと歩く夕暮れ

夕飯の支度が終わり、ほっと一息ついた瞬間、足元で「くぅん」と小さな声がした。見下ろすと、エアデールテリアのジョンが、僕の足にそっと顎を乗せ、潤んだ瞳でこちらを見上げている。「さあ、行こうよ」と言わんばかりの、期待に満ちた眼差しだ。テリアの王様なんて大層な呼ばれ方もするけれど、この甘え上手なアピールには、いつも簡単に降参してしまう。

ジョンとの夕方の散歩は、一日のスイッチを切り替えるための、大切な儀式みたいなものだ。ピンと張ったリードから伝わってくる、彼の「早く行こう!」という気持ち。それが不思議と、今日一日の仕事の疲れをふわりと軽くしてくれる。

玄関のドアを開けると、少しひんやりとした夕暮れの空気が流れ込んできた。あれだけ騒がしかった蝉の声はすっかり聞こえなくなり、代わりにどこからか、甘く切ない金木犀の香りが漂ってくる。坂の多い神戸の街は、こんなふうに、香りで季節の移ろいを教えてくれるのが素敵だ。

今日の散歩コースは、旧居留地をぶらぶら歩いて、海まで行ってみることにした。石畳の道はスニーカーでも少し気を使うけれど、ジョンにとっては最高の遊び場らしい。爪が石を叩く「カッカッ」というリズミカルな音を立てながら、僕をぐいぐいと引っ張っていく。一度こうと決めたら絶対に譲らない頑固さは、まさにテリアそのもの。でも、時々ふと立ち止まって、僕が追いつくのをちゃんと待っていてくれる。そんな不器用な優しさが、たまらなく愛おしい。

旧居留地のクラシックなビルたちが、夕闇のなかで次々と温かい光を灯し始める。まるで、一日のおわりに「お疲れさま」とでも言い合っているかのようだ。ショーウィンドウに飾られた秋物のコートや、レストランのテーブルで輝くカトラリーが、街に上品な彩りを添えている。

すれ違う人たちも、どこかお洒落に見える。ジョンが、向かいからやってきた真っ白なトイプードルを連れた女性に、くんくんと鼻を鳴らした。尻尾をぴんと立てているのは、威嚇なのか、それとも挨拶なのか。ジョンの気持ちはジョンにしか分からないけれど、女性は「あら、ハンサムなワンちゃんね」と優しく微笑んでくれた。犬を連れていると、こんなふうに見ず知らずの人と、ほんの一瞬、心が通うような瞬間がある。お互いの犬の名前も知らないまま、ただ犬を介して、穏やかな空気が流れる。これも、散歩の醍醐味の一つだ。

もう少し歩くと、南京町の入り口が見えてくる。豚まんの、あの甘くて少しスパイシーな、食欲をそそる匂いが風に乗って届いた。ジョンの鼻が、ひくひくと大きく動く。食いしん坊なところは、飼い主に似たのかもしれない。子供のころ、父が出張帰りに買ってきてくれた豚まんを、妹と取り合うようにして食べた記憶が蘇る。熱々のそれを頬張りながら父の顔を見ると、いつも厳しい父の口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。食べ物の記憶って、どうしてこうも鮮明に、その時の景色や気持ちまで思い出させてくれるんだろう。

百貨店の角を曲がって海岸通りに出ると、潮の香りがぐっと強くなった。港から響く船の汽笛。ボーッという、低く長く響く音は、これから始まる旅の合図なのか、それとも日常のサウンドトラックなのか。どちらにしても、その音は僕の心を、どこか遠くへ連れて行ってくれるような気がする。ジョンも海の匂いが好きみたいだ。ぴたりと立ち止まり、鼻先を高く上げて、夜の海の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。その真剣な横顔を見ていると、犬にも、人間には分からない深い世界があるのかもしれない、なんて思ってしまう。

メリケンパークの広々とした芝生に着くと、ジョンは、まるでスイッチが入ったかのように駆け出した。リードを持つ手がぐんと引かれ、思わず「おっと!」と声が出る。エアデールテリアの祖先は、カワウソ猟の猟犬だったと聞いたことがある。きっとその本能が、今でも彼の体の中に眠っているのだろう。神戸の港を、イギリスの川辺と勘違いしているのかもしれない。

しばらくジョンの自由にさせていると、やがて彼は満足したのか、僕の足元へ戻ってきた。ぜえぜえと息を切らし、口の周りについたヨダレを、遠慮なく僕のジーンズで拭いている。こういう、飾らないところが、本当に可愛い。

ベンチに座って、水筒のお茶を一口。ジョンは僕の足にぴったりと体を寄せて座っている。彼の、硬くてワイヤーのような毛の感触が、ジーンズ越しに伝わってくる。ポートタワーの赤い光が、きらきらと海面に映って揺れている。対岸の工場の灯りも、まるで夜空に散りばめられた星のようだ。

「綺麗だね、ジョン」

そう話しかけても、もちろん返事はない。ただ、僕の言葉が分かったかのように、ジョンは僕の手に、そっと鼻先を押し付けてきた。温かくて、少し湿った感触。それだけで、心がじんわりと温かくなる。

散歩の帰り道は、いつも少しだけ、歩くペースが落ちる。楽しい時間がもうすぐ終わってしまうのが、名残惜しいからだろうか。ジョンもそれを感じているのか、行きのようなパワフルな引っ張りはすっかり収まり、僕の隣を、同じペースで歩いてくれる。

ふと、パン屋の前で足が止まった。もう閉まる時間だろうに、お店の中からは、まだパンの焼ける香ばしい匂いが漏れてくる。そういえば、明日の朝のパンがなかったんだ。ガラス戸越しに中を覗くと、お店のご主人がこちらに気づいて、にっこりと笑ってくれた。

「こんばんは。もう、これくらいしか残ってないんだけどね」

そう言って見せてくれたのは、少しだけ形が不揃いな、胡桃パンだった。

「じゃあ、それを一つお願いします」

まだほんのり温かい胡桃パンを、紙袋に入れてもらう。ずしりとした重みが、なんだか嬉しい。ジョンが、その紙袋に、しきりに鼻を近づけてくる。

「これは、ジョンのではないよ」

そう言いながらも、家に帰ったら、パンの耳のところを少しだけあげようかな、なんて考えてしまう。こういう小さな秘密の楽しみが、毎日の暮らしに彩りをくれる気がするのだ。

家に着くころには、空には星がぽつりぽつりと輝き始めていた。見上げると、細くて綺麗な三日月が出ている。

玄関の鍵を開けると、ジョンは待ってましたとばかりに中に滑り込む。彼にとっての、今日一番のミッションが終わった、という顔だ。泥で汚れた足を綺麗に拭いて、新鮮な水をボウルに入れてやると、彼は美味しそうに、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。

そして、いつものお気に入りの場所、リビングの隅っこにある古いクッションの上に、どさりと体を横たえる。もう僕のことは視界にないらしい。その、さっぱりとした切り替えの早さも、テリアらしくて面白い。

僕は、買ってきた胡桃パンをキッチンのテーブルに置き、熱いコーヒーを淹れる。一日、よく歩いた。足には、心地よい疲れが残っている。窓の外は、すっかり夜の闇に包まれていた。遠くで、また船の汽笛が聞こえる。

ジョンの、すうすうという健やかな寝息が、静かな部屋に優しく響いている。この、穏やかな時間。この、なんてことない、でも、かけがえのない夕方の散歩。それが、また明日から頑張るための、僕にとっての、ささやかだけど、とても大切なエネルギーになっている。そんなことを思いながら、湯気の立つコーヒーを、ゆっくりと一口、すすった。

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john-family 男性

ずっと旅行をしていたい。愛犬Johnが来てからはなかなか気軽にお出かけできなくなったけど違う癒やしにあふれているからOK。社会人生活はベテランです。兵庫県在住。興味があちこちにいくので雑記帳になっちゃうかも。