
月曜日の朝は、いつもと同じ時間に、同じ音で始まる。遠くで船の汽笛が低く鳴り、港町の空気が微かに潮の香りを運んでくる。僕のアパートメントの窓から見えるのは、切り取られた四角い空と、隣の建物の煉瓦色の壁だけれど、その向こうには間違いなく神戸の海が広がっている。そして、僕の足元には、これもまたいつも通り、Johnが眠っている。
Johnは僕の犬だ。五歳になるエアデールテリアのオスで、その名前は、僕が好きだったミュージシャンから拝借した。血統書に記載された、長くて格式ばった名前は、和歌山にある彼の実家、つまりは高名なシリアスブリーダーの元に置いてきた。僕たちの生活には、ただ「John」という響きだけで十分だった。
Johnは、テリアらしいスクエアな体躯と、硬質で艶のある被毛を持っている。ピンと立った耳、聡明そうな黒い瞳。道ですれ違う人々は、彼のその凛々しい立ち姿に感嘆の声を漏らすこともしばしばだ。「賢そうねえ」とか、「しっかりしてそう」とか。そのたびに僕は、曖昧に微笑んで、心の中でそっと付け加えるのだ。ええ、でもこの子、ものすごいビビリで、とんでもない甘ちゃんなんですよ、と。
僕たちの朝の散歩は、旧居留地の石畳の道を抜けて、メリケンパークまで足を延ばすのが常だ。Johnは、僕の左側を、つかず離れずの距離で歩く。彼の歩調は、まるで上質な革靴が奏でる音楽のようにリズミカルで、僕はその音を聞きながら、思考の断片を拾い集める。昨夜読んだ本の筋書き、週末の予定、あるいは、冷蔵庫の中身について。Johnとの暮らしは、そんなふうに、静かで、穏やかで、満ち足りている。彼は僕に、過剰な何かを求めたりはしない。ただ、そこにいる。それだけで、僕の世界は完璧に近くなる。
カフェのテラス席で、僕はカフェオレを、Johnは僕の足元で、店員さんが持ってきてくれた水の入ったボウルを、それぞれ静かに楽しむ。彼は、知らない人や犬に吠えかかるような野暮な真似はしない。ただ、僕の気配が感じられる場所に身を置き、街の喧騒を、まるでそれが心地よいBGMであるかのように受け流している。その姿は、シリアスブリーダーの元で、いかに素晴らしい血統と教育を受けてきたかを物語っているようだった。そう、ある特定の「イベント」さえなければ。
その予兆は、いつも些細な形で現れる。僕が、戸棚の奥にしまい込んである、小さな、金属製の、あの道具に手を伸ばそうとする、その気配。Johnは、犬特有の鋭い感覚で、僕の意図を正確に読み取るのだ。まだ何も始まっていないというのに、彼の黒い瞳には、不安と怯えの色が、まるで水面に落ちたインクのように、じわりと広がっていく。
爪切り。
たった四文字の、その言葉が、僕たちの平和な日常に、長く、冷たい影を落とす。
Johnは、ビビリなのだ。雷や花火の音はもちろんのこと、掃除機の駆動音、玄関のチャイムの響きにさえ、びくりと体をこわばらせる。その中でも、爪切りは、彼にとって最大の恐怖であり、試練だった。硬い爪に、金属の刃が触れる、あの「パチン」という音。それが、彼の世界のすべてを揺るがすのだ。
僕は、あらゆる方法を試した。優しく声をかけながら、一本ずつ。大好きなおやつで気を逸らしながら。僕の膝の上で、彼を安心させるように抱きしめながら。けれど、一度彼の心に灯った警戒のランプは、そう簡単には消えてくれない。僕の手が彼の足先に触れた瞬間、Johnの体は、まるで石のように硬直する。そして、僕の腕の中から、するりと抜け出し、ソファの陰や、ベッドの下の一番暗い場所へと逃げ込んでしまうのだ。
そこからが、長い長い、根比べの始まりだった。僕は、無理強いはしたくない。彼を追い詰めるようなことだけは、絶対にしたくなかった。だから、ただ待つ。彼が、自ら出てくるのを。時折、「John、大丈夫だよ」と、できるだけ平静を装った声で呼びかける。その声が、震えていないことを祈りながら。
ベッドの下の暗闇から、Johnの、潤んだ瞳だけが、こちらを窺っている。その瞳は、まるで迷子の子供のようだ。僕を責めているわけではない。ただ、怖いのだ。どうして、大好きなあなたが、僕にこんなに怖いことをするの、と。その無言の問いかけが、僕の胸を締め付ける。
彼の生まれ故郷である和歌山のブリーダーは、まさに「シリアス」という言葉がぴったりの、実直で、犬への愛情に満ちた人物だった。Johnを我が家に迎える日、彼は僕にこう言った。「この子は、骨格も、気質も、素晴らしいものを持っています。どうか、彼を信じて、よきパートナーになってあげてください」。その言葉は、今も僕の心に深く刻まれている。
ブリーダーの元で、Johnはたくさんの兄弟犬と共に、愛情深く育てられたに違いない。社会性を学び、人間を信頼することを覚えたはずだ。それなのに、どうして、爪切りだけが、これほどまでに彼を追い詰めるのだろう。彼のその繊細さは、素晴らしい血統の裏返しなのだろうか。あるいは、僕の育て方に、何か問題があったのだろうか。そんな考えが、堂々巡りをする。
ある雨の午後、僕はついに白旗を上げた。何度試みても、Johnは頑なに爪切りを拒んだ。僕は、濡れたアスファルトの匂いが立ち込める部屋で、途方に暮れていた。その時だった。僕の足元に、そっと、Johnが体を寄せてきたのは。ベッドの下からいつの間にか出てきていた彼は、まるで「ごめんね」とでも言うように、僕の足に、そっと自分の顎を乗せた。そして、僕の顔を、じっと見上げた。
その瞳にはもう、怯えの色はなかった。そこにあったのは、絶対的な信頼と、愛情だった。爪切りは怖い。それは、どうしようもない事実だ。けれど、それ以上に、僕のそばにいたい、僕を悲しませたくない、という彼の気持ちが、痛いほどに伝わってきた。
僕は、ため息をつき、Johnの頭を優しく撫でた。硬くて、ごわごわした、けれど愛おしい感触。「もういいよ、John。今日はもう、おしまいだ」。
その日から、僕たちの爪切りとの戦いは、少し形を変えた。僕は、一度にすべてを終わらせようとすることをやめた。天気の良い日の散歩の後、Johnが心地よい疲労感に包まれて、リビングのラグの上でうとうとしている時。僕は、彼の隣にそっと座り、何でもないことのように、彼の足先に触れる。そして、一本だけ。パチン。
Johnは、びくりと体を震わせる。けれど、逃げ出したりはしない。僕の顔を、不安そうに見上げるだけだ。「大丈夫、大丈夫だよ」。僕は、呪文のように繰り返しながら、彼の耳の後ろを掻いてやる。そこは、彼の一番好きな場所だ。Johnは、気持ちよさそうに目を細める。そして、その日は、それでおしまい。
次の日、また一本。その次の日も、また一本。まるで、蟬の抜け殻を一つずつ集めるように、僕たちは、ゆっくりと、時間をかけて、爪切りという名の儀式をこなしていく。それは、お世辞にも効率的とは言えない、ひどくまどろっこしい方法だった。けれど、僕たちにとっては、それが唯一の、そして最善の道だったのだ。
Johnは、相変わらずビビリで、甘えん坊だ。僕がシャワーを浴びていると、バスルームのドアの前で、僕が出てくるのをじっと待っている。僕が本を読んでいると、その膝に顎を乗せて、同じページを眺めている。僕が眠ると、僕のベッドの足元で、同じように眠りにつく。
彼は、決して、ショーリングで喝采を浴びるような、華やかなチャンピオン犬にはなれないだろう。彼の繊細な心は、きっと、そうした喧騒には耐えられない。けれど、僕にとっては、それでよかった。いや、それがよかった。
彼の弱さは、僕に、忍耐と、優しさと、そして何より、見返りを求めない愛情の形を教えてくれた。完璧ではないからこそ、愛おしい。足りない部分があるからこそ、僕が、それを埋めてあげたくなる。僕たちは、互いにとって、そういう存在なのだ。
週末の午後、僕たちは、いつものように海辺の公園を散歩していた。潮風が、Johnの硬い被毛を優しく揺らす。彼は、楽しそうに、地面の匂いを嗅ぎ、時折、僕を振り返っては、嬉しそうに尻尾を振る。その軽やかな足取りを見ながら、僕は、彼の爪が、少しだけ伸びていることに気づく。また、あの憂鬱な儀式の季節がやってくる。
でも、もう、僕は以前のようにはうろたえない。僕たちのやり方で、僕たちのペースで、乗り越えていけばいい。一本ずつ、一日ずつ。そうやって、僕とJohnの、神戸での日々は続いていくのだ。
凛々しい横顔とは裏腹に、世界で一番のビビリで、どうしようもない甘ちゃん。そんな君が、僕は、たまらなく愛おしい。
帰り道、カフェに寄って、僕はアールグレイを、そしてJohnには、頑張ったご褒美の、小さなクッキーを一つ、注文してやろう。きっと彼は、目を輝かせて、それを頬張るに違いない。そんな、ささやかで、けれど確かな幸福が、僕たちの暮らしの、すぐそばにはいつもある。爪切りの憂鬱も、結局は、この幸福のための、ほんの小さなスパイスに過ぎないのかもしれない。僕は、Johnの温かい体を撫でながら、そんなことを、ぼんやりと考えていた。

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今日もJohnとお散歩🐕
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この記事を書いた人 Wrote this article
john-family 男性
ずっと旅行をしていたい。愛犬Johnが来てからはなかなか気軽にお出かけできなくなったけど違う癒やしにあふれているからOK。社会人生活はベテランです。兵庫県在住。興味があちこちにいくので雑記帳になっちゃうかも。