大晦日のアクシデント

大晦日のアクシデント

犬の散歩中の肉離れが教えてくれたこと

年末の穏やかな午後、いつものように愛犬と散歩に出かけた。エアデールテリアのJohnは元気いっぱいで、というかいつも元気すぎるくらいで、リードをぐいぐいと引っ張りながら公園へと向かう。「今年も残りわずかだね」と心の中で呟きながら、私は軽快な足取り……というより、半ば引きずられるような形でJohnの後を追っていた。

その瞬間は突然訪れた。

公園への道中、横断歩道で信号が点滅し始めた。「あ、急がなきゃ」と思い、ほんの少し駆け足で渡ろうとしたその時、右のふくらはぎに「バチン!」という音とともに、鋭い痛みが走った。まるで誰かに後ろから蹴られたような衝撃だった。

Johnが引っ張ったわけでもない。猫が飛び出してきたわけでもない。ただ、横断歩道を少し駆け足で渡ろうとしただけ。それだけで、私のふくらはぎは悲鳴を上げた。

立ち止まると、ふくらはぎが熱を持ち始め、歩くたびにズキズキと痛む。「これは、まずい」と直感した。その場で立ち止まり、Johnのリードを握りしめながら、自分の体に何が起きたのかを理解しようとした。一方のJohnは、いつもの散歩コースが中断されて不思議そうにこちらを見ている。君は悪くないよ、John。悪いのは私の体力だ。

横断歩道を渡りきり、近くのベンチにゆっくりと座った。触ってみると、ふくらはぎが腫れているような気がする。これ、たぶん肉離れだ。インターネットで調べた症状とぴったり一致する。でも、病院に行くほどでもない気がする。いや、行った方がいいのかもしれないけど、なんだか恥ずかしい。「横断歩道を駆け足で渡って肉離れしました」なんて、医師になんて説明すればいいんだ。

結局、私は病院には行かず、自宅で安静にすることにした。

突きつけられた現実

肉離れそのものよりも、私を不安にさせたのは「こんな些細なことで怪我をしてしまった」という事実だった。

横断歩道を駆け足で渡る。これ以上ないくらい日常的な動作だ。全力疾走したわけでもない。ジャンプしたわけでもない。ただ、信号が点滅しているから「ちょっと急ごう」と思って、少し早めに足を動かしただけ。それだけで、ふくらはぎが断裂した。

数年前なら、こんなことで怪我をするなんて考えられなかった。いや、Johnを飼い始めた頃は、もっと激しい動きでも平気だった気がする。それが今では、横断歩道を渡るだけで肉離れ。

情けない。本当に情けない。

自宅に戻り、足を高くして横になる。マンションの15階までエレベーターで上がる間、足を引きずりながら壁に寄りかかっていた。エレベーターがあって本当に良かった。もし階段しかなかったら、今頃まだ5階あたりで立ち往生していただろう。Johnはエレベーター内で元気いっぱいに尻尾を振り、早く部屋に入りたそうにしている。待ってくれJohn、君と私では足の本数が違うんだ。そして、私の足は今、一本半くらいしか機能していないんだ。

年末年始という時期も、この不安を増幅させた。一年を振り返る時期に、自分の健康状態がこんなにも脆いものだったと気づかされたのだ。来年の目標は「横断歩道を普通に渡れる体力を維持する」になりそうだ。なんて切実な目標だろう。

そして何より恐ろしいのは、この怪我の原因が「何の変哲もない動作」だったことだ。特別なことをしたわけじゃない。激しい運動をしたわけでもない。ただ、日常の中で少しだけ急いだだけ。それなのに体が壊れた。これは、つまり、日常生活のあらゆる動作が危険だということではないか。

見えてきた体力低下のサイン

ソファに横になり、足を高くして安静にしながら、私は自分の体力について考えた。冷静になって振り返れば、今回の肉離れは突然の出来事ではなかった。体力低下のサインは至る所にあった。

朝起きるのが以前よりつらくなっていた。ベッドから起き上がる際に「よいしょ」と声が出るようになった。いつからだろう、この「よいしょ」。もはや口癖だ。階段を上ると息が切れる。電車で立っているだけで疲れを感じる。休日は疲れているからとソファで過ごすことが増えた。

普段、Johnの散歩は家内がメインで担当している。だから、私が散歩に連れて行くのは休日くらいだ。それでも、たまに一緒に歩くJohnの引っ張る力には、いつも驚かされていた。「家内はよくこれに毎日耐えているな」と感心していたが、今思えば、家内が体力を維持できているのは、毎日の散歩のおかげなのかもしれない。

特に気になるのは、コロナ禍以降の運動不足だ。在宅勤務が増え、通勤という日常的な運動さえも減少した。ジムに入ろうかと何度も考えたが、「忙しいから」「来月から」と先延ばしにし続けてきた。結局、一度も入会しないまま数年が経っている。

食生活も乱れがちだった。仕事が忙しいと、コンビニ弁当やインスタント食品で済ませることが多くなった。野菜不足を自覚しながらも、「明日から気をつけよう」と先延ばしにしてきた。そして気がつけば一週間が経ち、一ヶ月が経ち、気づいたら年末である。

睡眠の質も低下していた。夜遅くまでスマートフォンを見て、十分な睡眠時間を確保できていない。朝起きても体がだるく、疲れが取れていない感覚が続いていた。一方のJohnは毎朝5時に目覚め、「散歩の時間だよ!」と私の顔を舐めてくる。君の体内時計は正確すぎるんだよ、John。

これらの積み重ねが、今回の肉離れという形で表面化したのだと理解した。体は私に「このままではいけない」というメッセージを送っていたのだ。そしてそのメッセージは、横断歩道という最も日常的な場所で届けられた。

インターネットで肉離れについて調べると、「安静にして、冷やして、圧迫して、高くする」というRICE処置が推奨されている。幸い、自宅に湿布と包帯はある。病院に行かなくても、なんとかなるだろう。たぶん。

健康への意識改革

肉離れで動けなくなった数日間、私には考える時間がたっぷりとあった。足を高くしてソファに横になる生活は不便だったが、同時に自分の生活を見つめ直す貴重な機会となった。Johnの散歩は普段から家内が担当しているので、その点では特に問題はない。Johnも家内と散歩に行けるので、いつも通り元気だ。むしろ、私が動けないことで、家内の負担が増えていることの方が申し訳なく感じる。

まず気づいたのは、健康であることの有難さだ。痛みなく歩ける、階段を上れる、好きな時に好きな場所へ行ける、そして横断歩道を普通に渡れる。これらは当たり前のことではなく、健康な体があってこそ可能なことだった。

友人に相談すると、同年代の多くが似たような悩みを抱えていることがわかった。「最近、健康診断の数値が気になってね」「膝が痛くて階段がつらい」「このままでは将来が心配だよ」といった声が次々と聞こえてきた。みんな、案外ボロボロなのである。

特に印象的だったのは、学生時代からの親友の言葉だった。「俺も去年、階段で転んで骨折したんだ。それをきっかけに、週三回ジムに通い始めたよ。最初はきつかったけど、今は体が軽くなって、気分も前向きになった」

彼の変化は目に見えて明らかだった。以前より姿勢が良くなり、表情も明るい。何より、話す内容がポジティブになっていた。健康になることで、人生そのものが好転していくように見えた。

私も変わらなければ、と思った。でないと、家内に申し訳ない。普段から散歩を担当してくれている上に、私の面倒まで見てもらっている。そして何より、私自身がこのままでは、もっと些細な動作で怪我をする可能性がある。横断歩道を渡るだけで肉離れなんて、次は何で怪我をするのだろう。階段を降りるだけ?椅子から立ち上がるだけ?考えたくない。

ソファで安静にしながら、私はスマートフォンで健康に関する情報を調べ始めた。ストレッチの方法、筋トレの基礎、食生活の改善方法。調べれば調べるほど、自分がいかに体を粗末に扱ってきたかが分かった。

新年の決意と実践

年が明け、私は新たな決意を固めた。「今年は健康を最優先にする」と。というか「横断歩道を安全に渡れる体力を維持する」が正確なところか。目標のハードルが低すぎる気もするが、これが今の私の現実だ。

病院には行かなかったが、インターネットで調べた情報をもとに、自分でリハビリに取り組んだ。最初は足首を回すだけの簡単なストレッチから始め、徐々にふくらはぎのストレッチへと進んでいった。痛みが完全に消えるまでは無理をせず、慎重に進めた。

同時に、生活習慣の見直しも始めた。食事は野菜を多く取り入れ、タンパク質もバランスよく摂取するよう心がけた。料理をする時間がない時でも、コンビニで選ぶ商品を少し意識するだけで、食生活は改善できることがわかった。揚げ物弁当からサラダチキンとサラダの組み合わせへ。地味だが確実な一歩だ。

睡眠については、就寝前のスマートフォン使用を控え、決まった時間に布団に入るようにした。最初は眠れない夜もあったが、徐々に体内リズムが整い、朝の目覚めが良くなっていった。そして何より、Johnの朝5時の「起きて攻撃」にも、以前より余裕を持って対応できるようになった。

そして何より、「無理をしない」ことを心がけた。以前の私は、年齢を重ねても若い頃と同じように動けると思い込んでいた。しかし、体は確実に変化している。それを認めることは、決して敗北ではなく、自分を大切にすることだと気づいた。信号が点滅したら、無理に走らない。余裕を持って次の信号を待つ。それでいいのだ。

変化がもたらしたもの

まだ肉離れから二日しか経っていない。ふくらはぎの痛みは相変わらずで、歩くのもままならない。完全に回復するまでには、まだ時間がかかるだろう。

しかし、この二日間で、私の意識は確実に変わり始めている。

ソファで足を高くしながら、私は今後の生活について考えている。定期的なストレッチと軽い運動を取り入れよう。食生活も見直そう。睡眠の質も改善しよう。まだ実践できていないが、頭の中でプランを立てている。

体を動かした後の爽快感を、早く味わいたい。横断歩道の信号が点滅しても、「無理に走らなくていいんだ」という心の余裕を持ちたい。今はまだ、横断歩道を渡ること自体が怖いけれど。

食生活の改善も、これから始めようと思っている。「体は食べたものでできている」という言葉を、今回の怪我で痛感した。揚げ物ばかり食べていた頃の自分は、つまり揚げ物人間だったのだろうか。考えたくない。

睡眠の質を上げることも、優先課題だ。今夜から、早めに布団に入ろう。スマートフォンも控えよう。

そして何より、早くJohnとの散歩を再開したい。普段は家内がメインで散歩を担当しているが、休日に一緒に歩くのは私の楽しみの一つだった。以前は「犬の散歩は義務」と感じることもあったが、今は「一緒に体を動かせる貴重な時間」だと気づいた。John自体は家内と散歩に行けるので問題ないだろうが、私は一緒に歩きたい。たまに道端で猫を見つけて興奮することもあるが、回復したら、落ち着いて対応できる飼い主になりたい。焦らない。無理しない。それが大事だ。

これからの人生のために

肉離れという小さな怪我が、私に大きな気づきをもたらしてくれた。そしてそのきっかけは、横断歩道を駆け足で渡るという、何の変哲もない日常の動作だった。特別なことをしていないのに怪我をした、という事実が、逆に私の不安を的確に突いた。

健康は、失って初めてその価値に気づくものだ。しかし、失う前に気づき、行動を起こすことができれば、より豊かな人生を送ることができる。横断歩道を駆け足で渡って肉離れするという、なんとも情けない経験ではあったが、それが人生を見つめ直すきっかけになった。

年齢を重ねることは避けられない。しかし、どのように年を重ねるかは、自分の選択次第だ。健康的な生活習慣を身につけることで、年齢に負けない体と心を維持することができる。そして何より、横断歩道を安全に渡れる体力を維持することができる。これ、笑い話のようだけど、実は本当に大事。

今回の経験を通じて、私は「健康投資」の重要性を理解した。時間を使って運動をする、お金をかけて良質な食材を選ぶ、睡眠のために早めに帰宅する。これらは全て、未来の自分への投資なのだ。そして、愛犬との時間を長く楽しむための投資でもある。

そして何より、健康であることは、愛する家族や友人、そしてJohnとの時間を長く楽しむための基盤だと気づいた。彼らと一緒に笑い、遊び、思い出を作り続けるために、自分の体を大切にしていきたい。

年末年始に感じた不安は、まだ消えていない。でも同時に、前向きなモチベーションも芽生え始めている。これからも、一日一日を大切に、健康的な生活を始めていこうと思う。

Johnよ、これからもよろしくね。君と一緒に、元気に散歩を続けられる自分になりたいから。そして横断歩道を、焦らず余裕を持って渡れる自分になりたいから。

病院に行かなかったのは、今思えば少し不安だ。でも、まずは安静にして様子を見よう。そして、自分の体と向き合っていこう。次に何かあったら、ちゃんと病院に行こうと思う。たぶん。

まだ肉離れから二日目。これからが本当の勝負だ。

この記事を書いた人 Wrote this article

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john-family 男性

ずっと旅行をしていたい。愛犬Johnが来てからはなかなか気軽にお出かけできなくなったけど違う癒やしにあふれているからOK。社会人生活はベテランです。兵庫県在住。興味があちこちにいくので雑記帳になっちゃうかも。